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2012.01.25 赤毛布の男
最初に書いておくが、この事件は迷宮入りであり、犯人はわかっていない。
昭和10年代、福井のある村で、ある小売商の家に夜半10時頃、訪問者があった。
本家からの使いです、といって表戸を叩くので、細君が起きて出てみると、赤毛布を頭からすっぽりかぶって、本家の提灯を持った男が軒先に立っている。
本家で急病人が出たから、呼んできてくれと頼まれたというのだ。

急いで亭主はその男とともに家を出ていった。
本家からその家までは8キロほどある。
亭主を送りだしてやった妻は心配しながらも、子供たちを再度寝かしつけて、自分もうとうととした。
しかし2、3時間後、また戸を叩く音がした。

出ていくとまた赤毛布の男である。
彼は「病人はとても朝までもたなそうだから、女房も呼んでくれと言われ、迎えに来た」と言った。
細君はすわ大変とばかりに、子供と親しい近隣の家にあずけて男とまた一緒に出ていった。
すると1,2時間たって、今度は子供を頼んだ隣家の戸を叩く者がいる。
また赤毛布の男で、顔は見えない。

「両親が、子供も連れてきてくれというので迎えに来た」と男は言った。
しかしその家の細君は、こんな夜中に子供に風邪をひかせては大変だし、もうぐっすり眠っているから明日にしておくれ、と言った。
男は再度頼んだが、彼女は頑として応じなかったので、赤毛布の男は不承不承、帰っていった。

ところが数日後、この小売商の夫婦は惨殺されて河に投げこまれているのが発見されたのである。
犯人があの赤毛布であることは明らかである。
が、物取りにしてはひとりひとり誘い出すなど、念が入りすぎている。
また子供まで誘い出して殺そうとしたことなどから考えるに、怨恨としても相当根の深いものだ。

本家の提灯を持っていた、ということからしてすぐに犯人は割れるものと思われたが、結局何ヶ月たっても犯人の見当はつかず、迷宮入りになってしまった。

しかし男が終始顔を見せなかったこと、子供だましの嘘でふらふらと夫婦ともども出ていってしまったこと、子供だけは、まるで隣家の細君が護符でもあったかのように守ってみせたことなど、まことに不気味な事件と言っていいだろう。



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2012.01.19 知人の話
これは私の友人の警察官から聞いた話です。

未だ謎の多い忌まわしい未解決殺人事件。東京S区一家殺害事件。皆さんもニュース等でご存知かと思います。

現場の近所の方や、一度でも訪れた方ならご存知でしょうが、ここの一軒家の前の私道には必ずパトカーが最低一台常駐していました。
昼夜を問わず、管轄の警察官が二名、交代で不審者を近付かせぬよう見張りをしていました。
私が話を聞いた友人は、その見張り勤務を数ヶ月間担当していたのですが、舞台となった殺害現場の一軒家は、実は数年前に取り壊されています。

通常、未解決事件の場合、証拠保全の為、出来うる限り犯行現場は当時の状況のまま残しておくのがベストなのでしょうが、今は更地になっています。

何故、取り壊されたのか。
いえ、何故、取り壊わさなければならなかったのか…

モロだったそうです。
しかも、強烈な。

友人曰く、「信じるor信じないの次元ではない。見たor見た、の一択しかない。」だそうです。

通常、警らレベルの警察官では一軒家の内部に立ち入る事は不可能だったらしく、私の友人は直接目撃した事はない(箝口令が敷かれている節がある言い方でしたが)みたいですが、刑事や鑑識と同行した先輩の話では、そこにいた一同全員が同時に目撃したケースが度々あったそうです。

現場は、亡くなられた方の着衣していた衣服や、シーツ、布団などは運び出されてはいますが、床や壁の血痕は殺害当時のまま。
先輩は玄関から一歩踏み入れただけで濃厚な血の匂いが立ち込め、それだけで胸がムカついて来てその場に倒れそうになった。
そこから先は、何の変哲もない空間が、意思を持っているかの如く絡み付いてくる感覚に襲われた、と話してくれたそうです。

そんな彼が担当していた期間、初日に上司から言われた“鉄の掟”。

「ノックがあっても振り向くな」

パトカーの中に何時間と待機しなければならない初日に上司からそう脅された(?)そうです。
ま、初日に彼は振り向いてしまったそうですが…
彼は勤務担当の数ヶ月間、毎日のようにパトカーをノックする音を聞き続けたそうです。

「ノックは決まって三回なんだ…」
「同時に何ヵ所かからノックをすることも…」
「車の中にいても、あの部屋の窓だけはどうしても見ることが出来なかった…」
「同期の何人かは、ここの担当から外れた後に退職してるんだ…」

故人が未だ成仏されていない事は、事件が解決の日を迎える時までないのは明らかでしょう。
彼もあまり多くを語りたがらず、話してくれたのは、ほんのごく僅かな部分だけでした。


最後に、無念の死を遂げたご家族三人のご冥福と、一日も早い事件の解決を願います。



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2012.01.12 飛び降り
神戸市東灘区のJR住吉駅で、時速百キロもの猛スピードで通過する新快速電車から男がホームに飛び降り、立ち去っていたことが三日、兵庫県警の調べで分かった。
男は居合わせた客の視線を気にせず、何事もなかったように歩いて姿を消したという。

県警は、鉄道営業法違反の疑いで行方を探しているが、警官らも「こんな『途中下車』は聞いたことがない」と首をかしげるばかりだ。
二日午前十時四十五分ごろ、同駅ホームで、近江今津発姫路行き新快速電車から、赤い服を着た若い男が飛び降りるのを複数の人が目撃。
男は勢いで鉄製フェンスに激しくぶつかったが、そのまま改札口の方に歩いていったという。

一方、電車内では、連結部付近で人の手や足が見えているのに気付いた乗客がいたが、「ドン」という音とともに姿が消えたという。
JRから通報を受けた東灘署や県警鉄道警察隊などが周辺を捜索。
病院や医療機関にもあたったが、該当する人物はいなかった。

JRによると、新快速の最高時速は約百三十キロ。
駅の通過時はややスピードダウンするが、それでも百―百十キロは出る。
車両は窓が開かず、停車駅で連結部にしがみついたとみられる。

担当者は「新快速から飛び降りて大きなけがもないなんて…。ミステリーだ」と目を白黒させている



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1979年5月23日、長岡京市内にあるスーパーでパートをしていた主婦二人が、仕事終了後、近くの山の竹林にワラビ採りに行ったまま消息不明となり、2日後の25日、山頂付近で遺体となって発見された。

直接の死因は主婦A(当時43歳)が絞殺、主婦B(当時32歳)が刺殺。
二人のリュックには、それぞれ空の弁当箱、採ったワラビ、財布が入ったままであった。
検死の結果、死亡時刻はどちらも正午過ぎから二時半までと判明。

どちらも金を奪われた形跡はなかったが、主婦Aの衣服のポケットから

“オワレている たすけて下さい この男の人わるい人 ”

と鉛筆で走り書きをした、勤務先のスーパーのレシート(日付は事件当日より2日前)が発見される。
だが、どちらの荷物にも衣服のポケットにも、この鉛筆がなかった。
後日の捜索で、殺害現場から少し離れたところで芯の先端だけが見つかっているが、鉛筆そのものは見つからなかった。

主婦Aは全身30箇所以上も殴打され、肋骨が折れて、肝臓が破裂しており、主婦Bは全身50箇所以上も殴打され、包丁が体に突き刺さったままだった。



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1992年6月から7月にかけて、大阪府熊取町で17歳から22歳の若者が連続して自殺、変死するということがあった。
一週間ごとに、それも決まって水曜日か木曜日に自殺するというミステリーで騒がれた。

事件自殺した5人については以下の通り。
6月4日(木)  無職・A君(17歳)が自宅そばのタマネギ小屋で首吊り自殺
6月10日(水) 土木作業員・B君(18歳)がかつて住んでいた家の納屋で首吊り自殺。
6月17日(水) 旅館従業員・C君(18歳)が農作業小屋で首吊り自殺。
6月25日(木) 熊取町在住の岸和田市職員D君(22歳)が町内の森で首吊り自殺。
7月2日(木)  熊取町内の女子大に通うE子さん(19歳)が胸を果物ナイフで刺し自殺。

また5人の自殺の前に2人の17歳が亡くなっていた。

4月29日(木) シンナーによって板金工のX君(17歳)が熊取町内の貯め池に落ちて死亡。
5月29日(金) 無職・Y君(17歳)がシンナー吸引による心不全で死亡。

シンナーで死んだ2人を合わせると、死体が見つかった場所はすべて半径1.2km以内に集中している。
この狭い範囲の中、2ヶ月半で7人の若者が亡くなっていた。

自殺、不審死の熊取町の若者たちのうち、岸和田市職員のD君と女子大生のE子さん以外の5人はシンナーやバイクをキーワードに接点があった。

A君・・・・17 歳。中学3年時はほとんど登校せず、パチンコ店などに繰り出していた。当時の同級生によると、B君よりも”暴れもん”という印象だったという卒業後は美容 師の専門学校に入学するが中退、事件当時は無職だった。1991年、B君、C君らとともに暴走族を結成。特にB君と仲が良かったようだ。シンナーを常用し ており、B君とはバイク仲間でありシンナー仲間であった。

B君・・・・18 歳。熊取の不良達の間では有名だったという。A君、C君らと立ち上げた暴走族のチームでは特攻隊長のような役割をしていた。当時、妊娠中の彼女がいて入籍 する予定もあり新しい住まいもすでに決まっていた。A君の葬儀では「何で死んだんや」と悔しがり、「俺たちはしっかり生きていこう」と仲間を励ましてい た。だがその数日後、自身も自殺する。

C君・・・・18 歳。高知出身。野球少年で、野球の強豪校に進学したが中退、その頃高知にやって来ていたB君の友人を通してB君と知り合い仲間となる。その後、熊取町に やって来てB君の父親が経営する土建会社でB君と一緒に働いていたりした。B君が自殺した当時は三重県鳥羽市の旅館で手伝いをしていたが、自殺の報せを聞 き熊取町に戻ってきた。しばらく友人達と会ったりしていたが、「以前付き合っていた女性(当時17歳)に会いたい」と思い、2人の友人を連れて女性に会い にいった。だが女性から「もうすぐ他の男性と結婚する」と聞き、友人に「ロープはないか」と言っていたという。その6時間後、自殺死体となって発見され る。

D君・・・・22歳。岸和田市職員。

E子さん・・・19歳。鳥取県米子市出身。地元の高校を卒業後、大阪体育大学に進んだ。高校時代はソフトボールをやっていたが、大学進学後は陸上競技に転向した。町内の学生寮に住んでいた。遺書はなかった。

X君・・・17歳。A君・B君の中学時代の後輩で在学中に交流があった。Y君とは同じ中学。

Y君・・・17歳。A君・B君とバイク仲間だった。3人でよく熊取近辺を走っていたという。

【不審な点】
自殺とするには不審な点が多く見うけられた。

☆A君の「借金を返して欲しい」というメモ以外は、誰も遺書らしきものを用意していなかった。
死ななければならない理由も思い当たらない。

☆農作業小屋で首を吊ったC君はなぜか手首を後ろ手に縛っていた状態で死んでいた。警 察は衣服に乱れのないことと、自分1人でも縛れる結び方だったので自殺と断定した。これから死のうとする人間がどうして手を縛る必要があったのか。(衣服 が汚れていた、という目撃証言もあった)

☆D君は熊取と隣りの貝塚市の境界近くの小高い丘にあるクリの木でシャツで首を吊って自殺したが、そのシャツはとうてい手の届かない高い枝にかかっていた。

☆体育大生だったE子さんは住宅地の中のグラウンドを背にした道路でナイフで首と胸を 刺して死んだ。遺体は道路沿いの細い側溝にはまっていた。時間はまだ人通りのある8時過ぎ。なぜこんな目立つ場所での死を選んだのだろうか。また、E子さ んは陸上競技の自己ベスト記録を出したばかりで喜んでいたばかりだった。死ぬ理由など思い浮かばない。当日、血だらけの状態で発見されたE子さんは意識が 朦朧とする中で「違う、違う」と繰り返していたという。

☆B君、C君、E個さんの3人は以前から知人や家族に「車に追われている」と話してい た。B君は「白いクラウンに追いかけられている」と母親に漏らし、それを聞いた母親がC君に尋ねてみると「何度かそういうことがあった」と話したという。 E子さんは友人に「黒い車につけられている」と話していた。




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ピーターズ
1991年(平成3年)3月14日午後2時5分頃、広島県広島市安佐南区上安2丁目で、前日仮設置していた長さ65m、重さ43tの鋼鉄製の橋桁が、10m下の道路に落下する事故が発生した。

この事故で、橋桁は並行する県道下り線を赤信号で停車していた乗用車など11台を直撃し、橋桁の上で作業していて、投げ出された作業員5人と乗用車を運転していた市民10人が死亡、8人が負傷するという大惨事になった。

乗用車の中には高さ50cmまで圧縮されたうえに、火災が発生したものもあり、原形を留めない状態になった。
運転席が押しつぶされ、100Gを超える衝撃を受け全身挫滅で即死した者もいた。

中国新聞1991年3月27日付けの紙面によれば、事故に巻き込まれた乗用車のすぐ後ろに、卒園遠足から帰る途中の市内の幼稚園児97名と保護者らを乗せたバス3台があったという。

本来なら事故に巻き込まれかねない時間に事故現場に差し掛かるはずだったが、一人の幼稚園児が「トイレに行きたい」と切望したので近くのパチンコ屋のトイレを借り用を済ませることになった。

結果、事故には遭遇せずに済んだ。
しかし、事故が起こってから一年後、テレビ番組が取材した際、トイレに行った幼児は誰か聞いたところ、誰もなかなか思い出せなかった。
最終的に2人が候補に浮かび上がったが、1人は遠足を欠席しており、もう1人はすでに事故の時点で転園していた。




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2011.12.13 ゆびきりむら
昭和五十年代にその事件は起こった。
場所は九州の、かつて炭鉱で栄えていたが鉱山が閉鎖されてすっかりさびれた村。
そこで一人の男が農作業中に誤って草刈り機で自分の足の指を切断してしまった。
これだけなら日常の範疇でよくありがちな話なのだが、この出来事を境に急にこの村では、不思議と村人達の手足の欠損事故が頻発するようになった。(文字通り異常としか言い様の無い頻度で)

手足の指、耳、目の欠けた村人達が現れ始め、隣の町村の人達はこの村を指して「何かの祟りだ」と噂し合った。
遂には保険会社が内偵を始め、そこである事実が浮かび上がってきた。

最初に書いた通りこの村は、炭鉱夫達がいた頃には彼等が毎日落とす金で活気に満ちていたのだが、廃鉱が決まると村の人達に対し国や公団から多額の一時金が支払われた。
その中には(自宅通勤の)村出身の炭鉱夫達もいたので、鉱夫のいる世帯は『鉱山会社からの退職金 + 国・公団からの一時手当』の大金が舞い込み、彼等は新たな仕事に就く事も無く家を新築する、自宅に芸者を呼ぶ、家族総出でハワイに旅行、と言った調子で大金を浪費し続けた。
やがて手持ちの金も底を尽き始め、さりとて今更昔の慎ましい生活に戻れなくなった彼等が取った行動というのが…

勘の良い人ならもう解っただろう。そう、保険金詐欺である。
金を遣い続けるために、彼等は保険をかけた自分の体を切り刻んでいたのだ。
保険会社がこの事実を突き止め詐欺罪で告訴する準備を進めていた矢先、その相手の一人から一本の電話が。
『大変だ。農作業中に誤ってカマで自分の赤ん坊の首を…』

この件で警察も動き出し、詐欺、犯罪幇助、そして保険金目当ての嬰児殺害でついに皆御用となったそうだ。
以上、金の為に畜生道にまで堕ちた人たちの村、『ゆびきりむら』のお話でした。




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2003年に東京都で起きた小学6年生の少女4人が誘拐監禁された事件。
犯人が経営していた無店舗型児童買春デートクラブの名前がプチエンジェルだった為こう呼ばれている。

犯人は29歳の男で女子高生数人をスカウトとして雇い、渋谷や新宿で「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、
裸体撮影10,000円」などと書かれたチラシを配って少女を勧誘、男性客に斡旋し、猥褻ビデオの販売も合わせて多額の利益を得ていた。
また本人も過去に買春逮捕歴があり執行猶予中だった。

件の少女4人は犯人から「部屋を1万円で掃除してほしい」と誘われ、渋谷駅前で待ち合わせた後タクシーで赤坂のマンションに連れて行かれる。
マンションで掃除を始めると「ここに来た意味わかるよね」と犯人の態度が豹変、手錠と目隠しをされて監禁された。

2人が逃げようとするが失敗、手錠にポリタンクや鉄アレイを付けられて逃げられないようにされ、スタンガンで脅された。
警視庁は犯人の逮捕状を2002年3月に中学2年の少女を買春した容疑で請求。
捜査員が犯人の住所付近で聞き込みを始めたその日、犯人はリビングでテント状にしたビニールの中にて練炭自殺を図り死亡した。

だがビニールが溶けてしまい自殺は不可能だというコメントを当時の報道関係者がしている。
少女の1人が物音が聞こえなくなったのを見計らい手錠をはずして脱出、近くの花屋に助けを求める。
駆けつけた警察官が4人を保護、犯人の死亡を確認した。

事件を受けて翌日には渋谷で一斉補導が行われ、少年少女1,500人以上が補導された。
その後の捜査によって借りていた埼玉県久喜市のアパートから1,000本以上のビデオテープと2,000名に及ぶ顧客リストが押収された。
しかし多くが偽名であることを理由に突然捜査は打ち切られ、以降捜査が進められることもなかった。
その為この手の事件にありがちな芋づる式の一斉検挙といった動きはなく誘拐事件は解決を見たが、その背後にあるデートクラブ絡みの疑惑はまったく未解決のまま終わっている。



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1996年11月17日。
佐賀県鳥栖市在住で、食品加工会社に勤める女性(25)は発熱を覚えた。
翌日は会社を休んだが熱は下がらず、19日になると熱は38.3°に上がり、頭痛・嘔吐がしはじめる。
近くの診療所へ行くとインフルエンザと診断され、投薬を受けその日は帰宅した。

ところが翌20日には熱が39.3°にまで上昇、頭痛と悪寒が一層ひどくなったため診療所に入院して点滴を受ける。
開けて21日になっても一向に熱は下がらず、意識混濁を起こしたため、久留米大学病院救命救急センターに昏睡状態で救急搬入された。

細菌性髄膜炎との見立ての元、治療が行われるも症状は改善しない。
22日になって脳髄液中にアメーバを発見し、原発性アメーバ性髄膜脳炎と診断が確定したが、すでに女性は脳死状態に陥っており、そのまま快復することなく27日午前中に死亡した。

発症からわずか9日目という急激なものであった。
死後、女性を病理解剖すると、脳は形状を保てないほど溶けていたという…




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パラコート連続毒殺事件とは、1985年4月30日から11月17日の間に日本各地で発生した、無差別毒殺事件。
全て未解決。

関連事件34件(模倣犯を含む)のうち、13人が死亡。

全国各地の自動販売機の商品受け取り口に、農薬を混入したジュースなどが置かれていた無差別殺人事件。
毒物の混入された飲料を置き忘れの商品と勘違いさせ、それを飲んだ被害者が命を落とした。

当時は、瓶で販売されている飲料のキャップは構造上、開封と未開封の区別が付きにくかったため、一旦開封し毒物を混入した上で、キャップを戻しても一見目には、そうと分からない事が多かった。

ちなみにこの事件に起因して現在でもオロナミンCなどはビンのプルタブ形式を継続している。



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